印金に使われていた接着剤の成分は、我々にとって非常に大切な問題である。修復師としては、扱っている作品の素材を理解しないで修復することは不安だからだ。また製作者としては、作品の出来や質は接着剤の質に大いに起因するからだ。しかし、印金の制作技法は、中国や日本で、12世紀から現代にかけて、それを作っていた工房と同じ数ほどあったと言われているから、接着剤の成分が何かという問題に簡単に答えることはできない。
接着剤について、我々は次の3つの軸に基づいて研究を行った。
– 文献
– 古い印金の観察
– 実技。印金を復元することにより、いくつかの仮説が正しいことを確認し、場合によってはそれを却下することができた。
この論考では、文献について検討する。
我々の研究は、日本の書物を中心にし、網羅的ではないため、十分だとは言えない。印金の起源は中国であるから、本格的な研究のためには、中国語を勉強し、現地で文献に直接に当たることが必須である。日本で見つけることができた資料は主に茶の湯に使われていた道具の目録である。その資料では、裂の様式や系譜については情報が得られるのだが、工芸関係の入門書や法的な登録簿や帳簿のような書物と違い、技術の歴史に関しては確かな資料体だとは言えない。
さらに、茶道に関する著書は、孫引きされているためか、印金について全く同じ情報が記載されており、大体出典が記されていない。
平凡社大百科事典によると、印金は「にかわ,漆,のりなどの接着剤」を用いる。原色茶道大辞典によると、印金は「漆または膠糊」を用い、印刷した裂と定義されている。宇田氏の名物裂と北村氏の日本の織物の歴史では、同じ表現が使われている。五島美術館で開催された名物裂展の目録では、印金を「接着剤として膠・漆・糊」を用い印刷した裂と定義する。同じような定義を他に幾つも引用することができる。江戸時代後期と明治時代、つまり古印金よりかなり後の時代に書かれた茶の湯に関する文献でも、印金は同様に記述されている。それより確かな情報を収集するために、中世の技術に関する書物において職人の技が記されている箇所を参照する必要があるだろう。しかしながら、工芸における技法は、それぞれの工房に独自に、口伝えで伝わっている上に、工房は互いに競争関係にあったので、ある程度までは秘密にされていたことを念頭に置かなければならない。
実際、上記の引用における接着剤についての記述は非常に漠然としており、日本でもっともよく用いられている天然接着剤の大きな分類である膠、でんぷん、漆とだけ記している。しかし、おそらく印金の制作技法は工房によって異なり、様々であったことと、当時手に入れられた接着剤をもとに制作する他なかったことから、漠然としていてもこのリストは、ある程度までは正しいと言える。
しかしながら、2007年に出版された鈴木氏の名物裂辞典では、このリストよりも詳しい研究が掲載されている。鈴木氏は鈴木時代裂研究所蔵の4枚の印金から、接着剤と箔の分析を行った。
以下に分析工程を記述する。
– 接着剤のサンプルを抽出し、水、そしてぬるま湯で溶解する調査。
– 95度のお湯で溶解する調査を3時間半。
– キープサンプルとして、現代の膠のサンプルを95度のお湯で溶解する調査を3時間。
– 接着剤と箔のⅩ線分析と電子顕微鏡での検査。
分析者は、有機元素よりも無機元素の分析のほうが実行可能であると判断した。印金の接着剤で膠が用いられたことを前提にし、膠原質の抽出に使われている石灰や、天然水に含まれているシリカなど、膠の制作工程で含まれる無機元素を調べた。
分析の結果
水とぬるま湯で溶解する調査では、4つのサンプルとも、30分たっても接着剤が溶解しなかった。このことから、分析者はでんぷん糊が入っていないという結論を達した。お湯で溶解する調査では、3時間半後に接着剤が乖離し、箔が剥がれる。キープサンプルにおけるテストでは、印金のサンプルと近い結果が出たので、分析者は分析された古い印金が膠で印刷された可能性が高いという結論を達した。
Ⅹ線と電子顕微鏡の分析では、サンプルに、シリカ、 カルシウム、 アルミ元素が入っていることが分かった。また、サンプルにより、銀、鉛、カリウム、硫黄、鉄も、少量入っている。金は、純度が多少高いが、非常に純度が低い金の事例もある。
分析者によると、4つのサンプルの接着剤に、石灰の成分であるシリカとカルシウムが入っていることは、膠が使われたことを示す。大量に検出されたアルミ、あるいは銀は、分析装置から混入した可能性があるという。カリウム、硫黄、鉛、鉄は、膠の制作工程やその際使われた水などから出る不純物である可能性がある。
金箔においても、カリウム、塩素、鉄は、採金の技術に関わり、金に混じる不純物として珍しくない元素である。
分析者によれば、分析されたサンプルに使われた接着剤は、以下の原料である可能性がある。
– 膠のみ。
– 膠と、油や天然樹脂やたんぱく質など、分析で検出しなかった有機物質の混合
– 膠と、シリカ、カリウム、あるいはアルミを含む鉱物の混合。硫酸シリカと硫酸アルミは鉱物にたくさん含まれている。例として、陶磁器や絵の具に適し、白い充填剤としてよく使われる二つのアルミケイ酸塩、カオリン(Al2Si2O5(OH4))と長石((Ba,Ca,Na,K,NH4)(Al,B,Si)4O8)を挙げておく。
お湯を使って溶解させる調査おいても、著者は現代の膠のキープサンプルを参照した。膠の種類は数多くあり、原料となる動物や、抽出の方法、不純物の量、劣化の度合いなどにより、それぞれの特徴は異なる。従って、現代の膠と古い膠のサンプルを比較することにより、学術的な結論を達することは難しいように思われる。
X線分析と電子顕微鏡検査では、膠が使われたことが明らかになった。全てのサンプルにカルシウムとアルミが含まれているので、粘土か炭酸カルシウム系の物質の充填剤が入れられたと考えられる。しかし、カルシウムは膠の制作工程に使われている石灰の成分であることと、大量のアルミが装置からの混入のせいである可能性があることから、この仮定に自信をもって調査を先に進めることができない。
天然接着剤は有機材料なので、有機元素を中心に分析を行えれば、もっと具体的な情報が得られるかもしれない。