日本では、摺箔

摺箔は、型紙を用い糊を生地の表面に置き、その上に金箔、もしくは銀箔を貼ることにより、織物を装飾する技法である。このような定義は、印金の定義と同じでありながら、各々製作工程や使用法が異なり、仕上がった作品の様子にも、それぞれ特徴がある。

摺箔は、縫箔と切箔の仲間である。縫箔は、金箔と刺繍を複合し、切箔は、筆で糊を生地に塗りながら、前もって模様の通りに切っておいた金箔をその上に貼るという技法である。

この三つの技法は、衣服の分野に固有し、歴史上最高級な着物に見受けられる。文献には、摺箔が中国の印金の影響で発祥した可能性があると、よく述べられているが、技術の歴史を詳しくみてみると、この意見には、疑問が湧いてくる。

日本では、このような織物の表面を金箔で装飾する技術がいつ発祥したか、明らかではない。金箔の生産や、仏像の製作における切箔及びメッキの技術は、奈良時代にはもう発展していたようだが、同時代の織物における同じような技法の遺物は残っていない。しかし、平安時代になると、894年の勅と927年の延喜式の中で、箔で装飾されている染織品について言及している。同時期の文学でも、金箔で装飾される袴や唐衣などの服装が登場するが、それは印金が中国から輸入されはじめたよりも前である。

鎌倉時代と室町時代にわたり、この伝統が続き、15世紀に衣服における金と銀箔押しの工業が盛んになったことは、明らかである。縫箔と摺箔は室町時代に特に発達したようである。そして桃山時代には、縫箔は 、絞り染めと墨を複合する「辻が花」という技法が特に流行った。

e-国宝のデータベースで、桃山時代の摺箔で装飾された胴服が見られる

江戸時代になると、摺箔と縫箔は慶長元号の小袖によく用いられ、寛永の奢侈禁止令の影響により、飛躍的に流行ってきた。生地に箔を直接貼る方法なので、金糸を織り込んだ裂より、手間がかからないながらも、同じくらい豊かに見える商品を製作できる。この理由により、摺箔は贅沢禁止を迂回する手段になった。摺箔が主要になる寛文小袖は、この状況の中で生み出された。

摺箔と縫箔は、現在、能装束によく見受けられる。「摺箔」と言われる装束は、「縫箔」、もしくは「唐織」という上着の下に着る女役の衣装である。17世紀の後半になると、摺箔を着ることは武家の特権ではなくなり、商人階級にも普及してきた。それから衰退の道をたどり、しばらくの間、市場で見ることがなくなった。

荒木氏によれば、現代、着物における摺箔や印金と呼ばれる技法は、実は1900年頃に再現した技法であり、江戸時代まで流行した技法とは異なるということだ。元の摺箔が絶滅したのは、おそらく奢侈禁止令や、好みの変化の結果であろう。

 

摺箔の技法

摺箔と切箔で装飾された作品では、生地の表面が平たくて柔らかいという特徴がある。古い作品には、箔が大いに擦り切れ、箔の広い欠損の箇所では、接着剤が見える。接着剤は、無色または、黄ばんだ白だったりする。または、その層が薄く、立体感がないが、凹面の変形が見受けることがある。さらに、摺箔の糊に、でんぷんを用いるため、ゴキブリに食われた事例が多い。

伝統工芸においては、同じ技法でも、工房によって異なり、口で伝えられている。そのため技法の歴史を研究することは難しい。昭和40年代に摺箔を学んだ和田光正氏によると、その頃の方法によると、でんぷん糊と布海苔を合わせた接着剤を用いていたという。でんぷんとしては、うるち米やもち米及び、小麦粉などが使われていたが、日本では、おそらく手に入りやすく接着力が強い、米がよく用いられた。米で作った糊は硬いため、職人は、それが柔らかくなるまで、床下に寝かせておいていたそうだ。それから、粘性と接着力のある布海苔を、水の代わりに糊に混ぜた。このようにすると、接着剤が柔らかくなりながらも、生地に置くと、横へ滲まない。極薄い金箔を置く場合、布海苔のみを用いても、生地にしっかり付いているということである。

生地は、「地入れ」という方法により、板に固定される。まず、薄めたでんぷん糊を板に塗り、乾かしておく。それから、板に湿りを少し入れることにより、糊の接着力を戻し、生地は板に固定する。この方法で、生地を平らに押さえ、糊を置く時、伸縮を防ぐことができる。また、生地の裏に残っている糊がわずかなので、印刷作業が終わった後、生地を洗わなくても良い。

糊を型紙を通して生地に置き、置き立ての糊に箔を貼る。糊が乾いた後、貼り付かず残った箔を刷毛で除く。

印刷した生地を柔らかくするのに、糊の層を割るように手でバイアスに伸ばす。

木工の仏像を「切箔」で装飾する時には、でんぷん糊ではなく、布海苔に膠を入れる。この場合も、布海苔を、粘性があるため、助剤として用いる。和田光正氏によると、膠は硬いので、着物の分野では質の低い物、あるいは歌舞伎の衣装のほうに用いる。米糊は、元々は硬いが、以上に説明した方法のとおりに処理すれば、柔らかくすることができる。なお、時間が経ても、色があまり濃くならない。

古い摺箔の技法は、いくつかの文献によって、知ることが出来る。北村氏に引用されている1651年の『萬聞書祕伝』では、摺箔用の糊の作り方が記載されている。布海苔を高温で抽出し、目の粗い生地で濾してから、泡が無くなるように一晩寝かせておく。それから、米糊を入れる。別の文献(出典未詳)では、布海苔の代わりに鶏卵、葛糊、生麩糊、ミョウバンを足した膠などを用いた方法が述べられている。

北村氏によると、桃山時代から江戸中期にかけての作品は、近代の作品より、糊の接着力が強く、箔が落ちづらいということである。すなわち、接着剤の成分や、作り方及びについて、何か工房の秘密があったか、あるいは素材の質が現在と異なっていたのかが考えられる。

 

現代の技法と金彩

現在、「金彩」、あるいは「金彩友禅」という言葉を時折耳にする。この用語は、和田光正氏が1970年代頃に、摺箔から生み出した新しい技法を開発し、名付けた時、発想した用語である。金彩に用いる接着剤は、和田光正氏が開発した化学系の接着剤であり、擦りや洗濯及び、虫食いに強い。接着剤を置く際には、伝統的な型紙、あるいはシルクスクリーンに使われているような感光性樹脂で模様を成したスクリーンを使用する。金属は、箔、あるいは砂子であり、金や銀もあり、化学染料で染めるアルミ箔も用いる。このような方法で製作された着物は、色が鮮やかで、酸化に強い。

和田光正氏は、「金彩」という言葉を生み出すまで、印金職人として働いていたそうである。ここから、いかに「印金」という言葉が広い意味で通常に使われていたかが分かる。

それはさておき、ある表具裂屋では、金彩の技法で装飾された裂を見受ける。これらは、古印金の伝統的な模様を多少なりとも複製し、印金という呼称で販売されている。

http://www.wada-mitsumasa.com/

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