掛物の制作の際に、目立たず、作品の鑑賞を妨げない表装裂が必要となる。この必要性からトラテッジョ印金を構想した。多くの場合、新しく印刷された印金は光沢が強いために、時の経過がはっきりと感じられる作品の表具として用いると存在感がありすぎ、作品が負けてしまうのである。
日本では表具の修復の際、表装裂が作品より視覚的に目立たないように選択されている。現在、美術館でもっとも代表的な表装裂の色は、薄茶、茶色、萌葱などの地味な色味である。金箔紙を織り込んだ金襴という織物を用いる際にも、金箔の光沢を工夫して落とすことが多い。特にいくつかの例では、金箔紙の制作の時に、金箔を使わず、金砂子を糊に塗す。この時、金箔には斑点があるように見え、下地の漆の色が見える。このような方法で摩耗に似たような効果が得られる。
表装に使うための印金を製作している私の知り合いの修復師たちは、製作した印金に古びた外観を与えるために、人工的に新しいものを汚したり擦ったりしていた。
現代修復を特徴付ける概念の1つに、オリジナル作品と修理箇所を判別できるように修復を行うというものがある。このような方法によって、修復の際に歴史的な偽物を作らないで済むわけである。絵画修復の分野において、この概念からイタリアでトラテッジョという技法が生まれた。この技法においては、画像の欠損部を補彩するために、オリジナルと全く同じ色を用いるのではなく、数色を用い、細かい毛羽のような筆致で補彩するのだ。2~3メートルの距離をおいて作品を見ている観客は視覚効果によりオリジナルの部分と修復された部分の筆遣いの違いが見分けられないはずだ。しかし作品に近づくと、補彩された部分を判別でき、残存している本来の素材の実際の範囲に気づくことができる。
同じような工夫をして、金箔に不連続性を加え、摩耗の効果を生じさせる模様の印金を作れないだろうか?遠くから見ると、欠損や模様の途切れによって、金箔の色が弱まっているため、古裂のように見えるはずだ。また、近くから見ると、印金が現代の作品だということがわかるだろう。このような印金を制作するために、通常の糊の作り方と塗布の仕方は変えなかったが、現代の技術を用いて型紙の制作を行った。
まず、古印金の写真を見ながら、伝統的な明時代風の牡丹唐草紋を描いた。それからできるだけ黒く、すっきりとした線となるように、インクで模様を写した。これとは別のペーパーに、密度が高い範囲や低い範囲を作りながら、丸みを帯びた線や細い線で波状の線模様をペンで描いた。
二枚の絵をスキャンして、フォトショップでグレーを無くすために画像を2値化する。二枚のレイヤーを重ね、波状の線模様が牡丹唐草模様の上で適当な効果を生むまで、レイヤーの寸法を調整する。しかし、次に出来上がった模様の型紙を掘り、印刷する作業ができるように注意しておかないといけない。つまり、線模様があまりに細かすぎてはいけないのである。さやがた紋に関しても、同じ作業を繰り返した。結果としては、非常に細かく交差する線模様となり、型紙の専門職人に掘ってもらわない限り、手で掘る作業は難しいと思われた。そのためこれをレーザーカットで掘ってもらった。
木工とプラスチック素材の文化財修復師フランソワ・デュボアセと協力して、レーザーカットを何度か試みた。テストでは、複数の素材やレーザーの強度と速度を試してみた。日本の型紙制作に伝統的に用いられている柿渋紙は、完全に美しく切ることができる。
しかしフランスでは柿渋紙を販売している会社が見つからなかった。現代では、丈夫で濡れても寸法が変わらないため化繊紙である洋紙が多く用いられているが、これはポリエスターを含む素材で、レーザーで切るときに有毒なガスを発生させる恐れがあるため、試さなかった。セルローズアセテートはフランスに手に入れやすく、レーザーで上手く切れる。しかし、濡らすとかなり変形するというデメリットがある。というわけで、型紙を洗うたびに粘着防止紙に挟み、低温でアイロンをかけ、錘の下で乾かす必要がある。色々な厚みの和紙を用い、シェラックを何度も塗り重ねて、自家製防水紙も作ってみた。しかし、細かい模様が彫ってあるため、紙が薄ければ洗う時に破れやすく、紙が厚ければ印刷する時に布に置く糊の層が分厚くなる。
印刷の時に一番良い結果が出た型紙は125ミクロンの厚みのセルローズアセテートに彫られた型紙であった。これより薄いシートの場合、プラスチックが水に触れると変形しすぎ、より厚いシートの場合、布に置く糊の層が厚くなりすぎる。
レーザーカットにセルローズアセテートよりも適している素材は薄いアクリルのシートであるように思われる。しかし、これを小売りで購入することが難しい。
印刷を試すために、シャンタン、紗、紬、花模様綾、無地綾など、数種類の絹布を用いた。薄茶、茶色、萌葱など、現在古い作品の表装に好まれている色の天然染料で裂を染めた。金箔と裂の色の対比をできるだけ少なくするために、金箔も数種類の色を用いてみた。このようにすると、印刷した生地をある角度で見ると模様が視覚的に生地の色に溶け込み、見えなくなる。
茶地中牡丹紋綾に赤味の金箔で印刷したサンプルでは面白い結果が出た。ある角度で見ると金箔で印刷した模様が見え、違う角度では織ってある模様が目立ち、金模様が見えなくなる。